最高裁判所第三小法廷 昭和56年(オ)952号 判決 1982年1月19日
上告人
尾道正夫
右法定代理人親権者
尾道マサエ
右訴訟代理人
廣石郁磨
被上告人
大分市
右代表者市長
佐藤益美
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人廣石郁磨の上告理由について
土地名寄帳及び家屋名寄帳は、市町村が固定資産税の課税上の必要に基づいて作成する資料であつて、その記載が固定資産税の納税義務者の権利義務になんらの影響を及ぼすものではないから、固定資産の所有者であつても法律上市町村に対し名寄帳の閲覧を請求する権利を有するものではないと解するのが相当である。これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原判決を正解しないでその不当をいうか、又は独自の見解に基づいて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(伊藤正己 横井大三 寺田治郎)
上告代理人廣石郁麿の上告理由
第一点 原審判決は所有者本人の名寄帳の閲覧権の根拠としながら同法条に因る閲覧の許容は行政処分によるものとし関係者が法律上当然に名寄帳の閲覧請求権なしとして本訴請求を排斥して居るのであるが同法条は「関係者に縦覧せしめなければならない」と行政処分の這入り込む余地のないものにこれを引用し法律上当然に存する閲覧権をこれなしとし結果として上告人の代位の対象である本人に閲覧権がないから代位の余地はないとするものであるが右は原審の法条解釈を誤る違法の判決でありその違法は請求そのものを決するので当判決は当然に破棄さるべきものと信ずる。
およそ行政処分は法令に基いて行政庁に裁量即ち許否の余地のある所に存し「縦覧せしめなければならない」に拒否の余地はない。尤も関係者であるか否かの審査するであろうがそれは行政庁の事務であつて行政処分ではない。
次点に陳ぶる所であるが関係行政庁が所有者本人の閲覧は当然のこととせる点も本条「縦覧に供しなければならない」に根拠すると観るべきであり行政処分等実務庁には存しない。
第二点 原審判決は第一点に述べる地方税法第四一五条の解釈と平行し、名寄帳は行政庁が税務行政の為に作成された内部資料で本来外部に公表すべきものでなく関係者と雖も法律上当然に公共団体に閲覧請求権を有するものではないとし、以て上告人に閲覧請求権なしとするものである。然し行政庁の実態はその根拠法令の如何んに拘らず所有者本人の閲覧申請には無条件に常に許されて居るのである、このことは全国の市町村同一である。この厳然たる事実は理論で覆えすことはできないと思料する。
而てこの誤りと謂うより不符合は何に基因するか窮極する所証拠に対する判断の誤に帰すると信ずる。即採証法則を誤る違法がある。蓋し、
一、所有者本人の名寄帳の閲覧は全国の市町村同一でその法律上の根拠に拘らず(吾人は地方税法第四一五条と理解するが)或は行政慣習によるか何れにしても閲覧を許容して居ることは厳然たる事実である、この事実は公知の事実であり裁判所にも顕著な事実と思料する、従つて他に証拠は要しない。
二、固定資産税台帳、字図閲覧申請書(甲第一号証の一)(この申請書は被上告人役場備付のもので印刷文字は同庁の作成である、そして他の市町村も全国ほぼ同一である)の欄外下部印刷文字「注名寄帳の閲覧は、本人及び同一世帯の親族でない者は委任状又は代理人選任届若しくは承諾書を添付して下さい」と記載されて居る。これは消極的な表現ではあるが社会通念に従つて、一般大衆の理解に従えば本人には当然無条件に閲覧させると解する。又はそう扱はれて居るのである。
三、決定書(甲第三号証)の記載に拠れば「本人の同意又は法律で特別に定ある場合を除き」(同理由一六行以下)と本人閲覧を法律の定めと同列に置き更に本人に閲覧権なしと断定はして居らないのである、因に右決定書は上告人の閲覧申請を許さないとの弁であの当庁が法律上当然に本人にも閲覧権なしと表現することが当然で右被上告人自体も法律上当然閲覧権なしと解して居ないのみか寧ろ本人には閲覧権があるとの表である。
四、税務証明の実務(乙一号証の一乃至五、同第二号証、第三号証の一及二)を検するに数多くの各自治体の問合せこれに対する自治省の回答は何れも一様に所有者本人以外の閲覧申請を何う扱うべきかの問答で本人についての問合は全くなく本人外の者について本人同様に扱うことの可否に限られて居るもので本人の閲覧は法律に基くか行政庁の取扱例によるかに拘はず寧ろ行政概念として定着して居ると看るべきものであるこれを固定資産台帳は行庁の税務行政の事務の為のものであるとか外部に自由に閲覧させるものではないとの判断が証拠に対する判断であろうか少くとも行政の実態には背反すると観るべきである。
五、以上要するに原審の判断は証拠に対する判断を誤ると謂うか判断を欠グと解するか採証法則を誤るものと信ずる。
六、仮りに前記各証拠は何れも消極的表現で証拠とするに足らないとする場合でも右消極ではあるがそうした可能性の有る本件においては裁判所は釈明権を行使し以てその真実を明にすべきであるのにこれをなさない点に審理不尽の違法は免れないと信ずる。
第三点 所有者本人の名寄帳の閲覧はその根拠法の如何に拘らず或は法に根拠なく行政慣習に因るかは別として本人には閲覧せしめて居るのである。上告人の閲覧申請は代位申請であるので本人に準じ本人申請の場合と同一に扱はれなければならない。そうであるとすると本人の閲覧許容が行政処分により許される場合であろうと或は慣習によるものであろうと総て代位申請の内容である。そうすると上告人の代位による閲覧申請はその代位が許されるものである限り申請は所有者本人の申請として取扱はれなければならない、又その許否(被上告人の)も裁判所の判断も本人につきての許否として扱はれなければならない。従つて本人について許す場合と許さない場合を検討して請求(本訴)の容認又排斥を定めなければならない。この意味において原審は本人に法律上当然に閲覧権なしとの理由でこれお排斥(申請の一部についての判断)して居るのであるが申請内容の一部についての判断であるが窮極する所本件は名寄帳の閲覧が債権者代位を許されるか否か許されるとするならば名目は何うであろうとも即本人の閲覧申請として扱はればならない。その基礎事実を定めることなく末端判断にて終始して居る点に誤りがあり依つて上告人の請求を排斥せる点に違法があるこの違法は判断遺脱の違法か理由不備の違法に帰しその結果は請求自体を左右するもので原審判結は破棄さるべきである。